大晦日の定番行事として、多くの人がNHK紅白歌合戦を思い浮かべるでしょう。
家族で集まってこの番組を楽しむのは、新年を迎える素敵な習慣になっています。
しかし、毎年見慣れたNHK紅白歌合戦ですが、その始まりや由来はご存知ですか?
また、なぜ「紅白」という色でチームを分けて競うのか、当たり前のように思えるけれども不思議ですよね。
本記事では以下の内容について紹介します。
- NHK紅白歌合戦の始まりと歴史
- 番組名「NHK紅白歌合戦」の由来
- チームを「紅」と「白」に分けて競う理由
この日本の年末の伝統について、ぜひ深く知ってみてください。
NHK紅白歌合戦の始まりと歴史
音楽番組の新時代を切り開く!
NHK紅白歌合戦は、1951年に始まった長い歴史を持つ歌の番組で、2023年には74回目の放送を迎えます。
この番組の起源は、戦後間もない1945年12月31日に放送された「紅白音楽試合」にあります。
この試合は、約2時間にわたる放送で、勝敗を争う形式ではなかったんです。
最初は一回限りの放送を予定していたスタッフも、視聴者からの大好評を受けて番組の継続が望まれるようになりました。
これを受けて、お正月の特別番組として再び制作されたのが、現在の「紅白歌合戦」です。
新年の特別番組から年末の恒例行事へ
「第1回紅白歌合戦」は1951年1月3日に放送され、初めての放送は夜8時から1時間のプログラムでした。
この番組はもともと「一度限りの放送」を意図していました。
しかし、その人気により、翌年の1952年1月3日に「第2回紅白歌合戦」が放送されることになりました。
そして、1953年の第4回からは、紅白歌合戦は現在のように12月31日に放送されるようになりました。
興味深いことに、1953年1月2日には「第3回紅白歌合戦」も開催されており、1953年は2回の紅白歌合戦が放送された、特別な年となりました。
番組名「NHK紅白歌合戦」の由来
「紅白歌合戦」の名前の由来には明確な記録が残っていないものの、一つの説は「紅白音楽試合」のディレクターが学生時代に剣道を行っていた経験に基づくとされています。
剣道をはじめ多くのスポーツで、対抗戦を「紅白試合」と呼ぶことから、この名称が選ばれた可能性があります。
元々「紅白音楽試合」と呼ばれていた番組は、1945年12月31日に初めて放送され、「紅白音楽合戦」というタイトルが予定されていました。
しかし、戦後のGHQの指導により「battle」を避け、「試合(match)」という語が選ばれた背景があります。
1951年、紅白歌合戦の初回放送時にはGHQの規制も緩和され、「合戦」という名前が採用され、今日まで続いています。
チームを「紅」と「白」に分けて競う理由
「紅白戦」という表現は、なぜ2つのグループによる競争を指すのでしょうか。
これには、平安時代の「源平合戦」が深く関わっています。
「源氏」と「平氏」という武士の一族が、平安時代に数多くの戦を展開しました。
中でも6年間にわたる「治承・寿永の乱(1180-1185年)」は、「源平合戦」として知られ、壇ノ浦の戦いで「源氏」が勝利しました。
源氏は白を象徴色とし、戦では白旗を掲げていました。対して平氏は、赤を一族の色とし、赤旗を使用していました。
この2色の対比から、後世に「対抗する2組」を象徴する色として紅と白が用いられるようになり、「紅白戦」という言葉が生まれました。
男女の区別は本来の由来とは無関係です。
現在では、「紅白の幕」など、お祝いの場で使われる色としても定着しています。
そのため、みんなで歌を楽しみ、競い合う「紅白歌合戦」には、紅白の色は最適と言えるでしょう。
年末の定番エンターテインメント「紅白歌合戦」
NHK紅白歌合戦は、大晦日に多くの家庭で視聴される、欠かせないテレビ・ラジオ番組のひとつです。
全世代に渡って知られるヒット曲は少なくなってきていますが、この番組では誰もが知る楽曲を楽しむことができます。
多くの人々に親しまれている紅白歌合戦は、終戦後に放送された人気の歌番組が始まりでした。
初期の頃は継続する予定もなく、また正月番組としてスタートしたという過去がありますが、現在では大晦日の風物詩となっています。
まとめ
紅白歌合戦は、1945年12月31日に「紅白音楽試合」として始まりました。
戦後の日本に活気をもたらす目的で開始されたこの番組は、大きな反響を呼び、定期的な放送へと発展しました。
大晦日は、帰省して家族が集まる機会や、親戚が一堂に会する時期でもあります。
紅白歌合戦の背景を知りながら、その魅力を改めて味わうのはいかがでしょうか。