端午の節句の子供の日!ちまきを味わう風習は関西地方の背景に迫る!

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子供の日に特別なちまきを楽しむ場所をお探しですか?

端午の節句にちまきを食べる習慣の始まりはどこにあるのでしょうか?

なぜそれが特に関西で好まれるのか、その理由は何でしょうか?

これらの疑問について、解説していきましょう!

ちまきと柏餅という、異なる2つの餅の種類が存在する理由、

ちまきが邪気を払うとされる起源、

そして、関東と関西で見られる異なる風習の背景についても、詳しく説明します。

子供の日にちまきを特別に楽しみにしていた記憶は、多くの方にとってかけがえのないものでしょう。

端午の節句は、子どもたちの健康と成長を願う、大切な日です。

小さな頃、母が作るちまきの香ばしい匂いに誘われてキッチンを往復した記憶。

「♪ちまきを食べに行こう」と、好きな歌を歌いながら母の側を離れなかった思い出もありますね。

だが、大人になってからは、家でのちまきにまつわる意外な事実を知る機会もありました。

職場で子供の日の食べ物について話題になった時、

子供の日にちまきを楽しむ習慣はどの地域にあるのか?

端午の節句にその習慣がどのように始まったのか?

そして、なぜそれが関西地方で顕著なのか?

これらの質問に具体的に答えていきます。

ちまきと柏餅がなぜ存在するのか、

ちまきが不幸を避けるためとされる背景、

そして、関東と関西で異なる文化の風習についても、丁寧にご説明します。

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子供の日にちまきを食べる地方の風習とその背景

毎年5月5日の子供の日は、端午の節句として知られ、男の子の健やかな成長と健康を願う伝統的な行事として親しまれています。

幼少期、朝から母が準備するちまきを心待ちにし、キッチンを小走りに回り、

「♪ちまきたべたべにいさんが~」

のフレーズを含む「背くらべ」という童謡を繰り返し歌いながら、母の周りを離れなかった記憶があります。

大人になってからは、実家で食べたちまきについて、意外な真実を知ることがありました。

職場で子供の日の食べ物に関する話が出た際のエピソードについて。

子供の日にちまきを食べる風習のある地方、その起源、そしてなぜ関西地方でちまきが特に好まれるのかについて、その疑問を解き明かしていきます!

ちまきの種類とその地域ごとの好みの違い、

ちまきが厄払いとされる起源、

そして、関東と関西で見られるちまきの食べ方の違いについても詳しく説明します。

話は戻りますが、子供の日にちまきを食べる習慣について聞かれ、私は首を傾げました。

「え?ちまきって具が入ってるの?」

と質問した際、周囲からは驚きの表情が返ってきました。

関東出身の若い同僚は言いました、

ちまきって、もち米と豚肉、野菜を使ったおこわですよ。笹ではなく、竹の皮で包んで蒸します

とのこと。

「それって中華ちまきやん」っと突っ込む私・・・

しかし、私が関西で育ち、母が子供の日に用意してくれたちまきは、具の無い白くて甘いお餅でした。

それはもち米を甘く味付けし、外側を笹の葉で包んだもので、笹の葉にくるまれただけの甘いお菓子でした。

思い返せば、母が作るちまきは、いつも笹の葉で包まれ、中身は、真っ白なお餅でした。

子供の日は柏餅も食べますが、「ひな祭りにちらし寿司」と同じく、端午の節句には具のない甘いちまきを食べるのが我が家の慣習でした。

実家に戻った時、このことを母に尋ねたところ、彼女も驚きを隠せませんでした。

彼女は祖母からその作り方を学び、母の姉妹たちも全員が子供の日に食べる「ちまき」といえば、甘いお餅と思っていたそうです。

関西人としては、全国統一でこの笹の葉で巻かれた真っ白な甘いお餅が「ちまき」だと思っていたわけで。

関東では「違う」なんてこと思ったこともありませんでした。

関西では、子供の日には柏餅とちまきを食べます。関東では柏餅のみだということを知るきっかけになりました。

子供の日にちまきを味わう風習の起源とは?

関西地方ではちまきを食べる習慣が強く残り、一方で関東地方では柏餅を好む傾向があります。

関西の人々にとっては、関東で柏餅が広く愛されることが意外に感じられるかもしれませんが、その人気の背景には、柏餅が江戸時代の武家社会に起源を持つことが関係しています。

一方、ちまきは端午の節句に古くから日本に存在する食べ物で、端午の節句が奈良時代に中国から伝来したことはよく知られています。

その際、宮中でこの習慣が取り入れられ、特に京都を中心とする近畿地方で広まりました。

この時期に、端午の節句にちまきを食べる習慣も日本に伝わったとされ、この風習は中国の古い伝説にその起源を持ちます。

ちまきの名前の由来と端午の節句に食べる理由

ちまきの名前は元々、茅の葉で巻かれていたことから来ています。

端午の節句にちまきを食べる風習は、中国での祭りで供え物として用いられた行事が始まりとされています。

ちまきと古代中国の伝説

かつて、中国には屈原という賢く、心優しい政治家がいました。

彼は正義と人間愛に満ち溢れており、国王に忠実で、民衆からも深く愛されていました。

しかし、その純粋な心は、権力を追求する者たちにとっては邪魔な存在でした。

その結果、屈原は権力争いに敗れ、国から追放される運命にありました。

国の将来に対する深い悲観から、屈原は5月5日に川に身を投げました。

この悲しいニュースを聞いた人々は、彼が愛した川へ急ぎました。

彼の魂を慰め、彼の身体が魚に食べられないように、騒音で魚を追い払い、彼に捧げる米を川に投げ入れました。

しかし、この供え物が邪悪な龍に奪われることを恐れ、人々は米を竹筒に詰めたり、邪気を払うため茅や楝樹の葉で米を包み、五色の糸で結んで川に流しました。

この五色の糸は後に、鯉のぼりの色となったと言われています。

そうして、屈原を追悼する5月5日は、彼への供養としてちまきを川に流す風習が生まれました。

時が経ち、三国志の時代には、5月5日が宮中で「端午の節句」として公式に認められました。

この伝承は、中国で5月5日に災難を避ける目的でちまきを作る風習の起源となりました。

奈良時代にはこの端午の節句の習慣がちまきと共に日本に伝わり、日本でも子供の日にちまきを食べる風習が根付いたのです。

関西でちまきが深く愛される理由とは?

端午の節句は奈良時代に日本に伝来し、その時代からちまきを食べる習慣が根付きました。

一方で、柏餅が登場したのは江戸時代で、柏の木が「子孫繁栄」の象徴として武家社会に好まれた背景があります。

この柏の木は、新しい葉が生えるまで古い葉が落ちない特性から「子孫が絶えない」という縁起の良さを象徴していました。

奈良時代から続くちまきの習慣は、江戸時代に入り柏餅の台頭によってその主流の座を譲ることになりました。

しかし、関西地方では古来の伝統を守る精神が色濃く残り、ちまきの風習が引き続き大切にされています。

その結果、関西地方ではちまきが、関東地方では柏餅が、それぞれの地域の主流となり、この地域差は現代に至るまで続いています。

端午の節句に関連する歴史深いちまきと、縁起を担ぐ柏餅。

これらはそれぞれの地域で大切にされ続けています。

まとめ

関西地方ではちまきが、関東地方では柏餅が好まれるというのは、それぞれの地域文化の違いに根差しています。

関西でちまきが特に愛される背景には、その起源と歴史が深く関わっています。

この食文化の差異は、中国の伝説から始まり、自らの命を絶った政治家を悼むために作られたちまきにまで遡ります。

この食べ物は端午の節句と共に日本に伝わり、奈良時代以降、長きにわたって続く風習となりました。

江戸時代になると、武家社会の価値観に沿った子孫繁栄の象徴として柏餅が誕生しました。

これにより、伝統的なちまきと新たに生まれた柏餅が端午の節句において共存することになります。

特に関西では、この伝統的なちまきの習慣が継承されてきました。

関東の人々にとっては馴染みが薄いかもしれませんが、今ではどちらの食文化も広く楽しまれています。

子供の日に家族でちまきや柏餅を味わうことは、子どもたちの健やかな成長と幸福を願う美しい習慣ですね。

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