加藤雅也の若い頃も超イケメン!モデルから俳優に転向ハリウッドへ行った理由は何?

男性芸能人

映画やドラマなどで活躍中の加藤雅也さんの若い頃が超イケメンってご存知でしょうか?

ちょっと濃いめのお顔立ちからハーフっぽいと噂されているほどのイケメンですよね?

現在もイケメンですけれども、年齢を重ねられて渋さが加わりますます魅力的になっていらっしゃいます。

そんな加藤雅也さんの若い頃やモデルのお仕事から俳優になられた理由についてまとめました。

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加藤雅也の若い頃が超イケメンでパリコレモデル

加藤雅也さんは、1963年4月27日生まれで2023年現在60歳です。

還暦!とは思えないほどかっこいいですよね?

私の子供の頃の60歳ってもっとおじいちゃんだったイメージですが。

加藤さんがモデルのお仕事を始めたのは、横浜国立大学3年生の時にモデルのマネージャーの方と知り合われてその方の勧めでモデルの道に進まれました。

ですが、なかなかうまくいかずに、4年生の時に男性向けファッション誌の「MEN’S NON-NO」(メンズノンノ)の創刊号にモデルに抜擢されます。

「MEN’S NON-NO」の創刊号でモデルを務められた方は他にも阿部寛さん、風間トオルさん、織田裕二さん、大沢たかおさんなど早々たるメンバーです。

みなさん現在は俳優さんとして活躍中でみなさんシブいですよね?

その頃の加藤雅也さんの画像がこちらです。

現在の渋さとは違ってさわやか系イケメンですよね?高校時代は陸上を大学時代はボクシングをしていたそうですので、スポーツマンでのさわやか系ということもうなづけますね。

加藤さんは、その後パリコレにも出演されましたが当時の男性のパリコレモデルの基準が身長が186cm以上でガタイが良いという方が多かったそうなのです。

加藤雅也さんは183cmで華奢なので無理だと思われたそうです。

1メートル83の長身だが「パリコレとか行った時に“これはフィジカル的に無理!”って、身長的に…。当時は186センチ以上、『テルマエ・ロマエ』のような阿部寛のような体じゃないと持たない。そんな中で、俺なんてきゃしゃ過ぎて無理。当時の基準でね」

スポニチより

加藤雅也がモデルから俳優になった理由は?

NHKアーカイブスより

加藤雅也さんの頭の中に「モデルという仕事は一生できる仕事なのか?」ということがあったそうなのです。

そしてモデル時代にCMやオーディションに行くとウケが良かったそうで、雑誌よりも動きがある方が自分にとって可能性があるのではないかと思い俳優の道へ進まれたそうです。

勢いだけではなく俳優転向へは戦略を練っての俳優への転向だったそうなのです。

とても頭の良い方なのでご自身のことを客観的に見ていらっしゃいますし、今後のこともしっかり見据えているということが、現在の活躍にもつながっているのでしょうね!

俳優転向後に映画「マリリンに会いたい」で主役を務められました。

BS松竹東急

加藤雅也がハリウッドに行った理由は?

加藤雅也さんが出演されていた「クライングフリーマン」という映画を試写で見たアメリカのエージェントから「来ない?」という話があり、31歳のときに単身渡米されました。

有名なエージェントからオファーを受けたらOKしちゃいますよね?

それが簡単な道ではないとわかっていても、チャレンジする道があれば進みたくなるという気持ちがスゴイなぁと思います。

当時、加藤雅也さんがハリウッドに行くということを報道で知った時に「無謀だ!」と思いましたもの。

それほど、アメリカの壁って大きかったのです。野球でも現在と違ってメジャーへ行った人ってあまり活躍できずに帰ってきていましたし。

それでも、オーディションを受けたり演技の勉強をされたりと7年間ハリウッドで過ごされました。

そしてハリウッドでも複数の映画に出演されていました。

当時、日本人はハリウッドへ行って映画に出るなんてとても無理!と言われていた時代に単身渡米される勇気ってスゴイと思います。

オーディションをいくつ受けてもいいとこまでは行っても役をもらえるところまでは行くことがなかなかできなかったそうです。

主役をやる予定だった映画があったそうなのですが、その映画はイギリス映画だったそうなのですがユーロが暴落して投資家がいなくなり流れてしまったとか、「クロウ2」という映画では最終でヴァンサン・ペレーズに負けてしまったそうなのです。

最終選考まで行っても決まらなかった理由が『英語』そうです語学力の問題!

当時は、日本人の英語って見ている人達に拒否されると思われていたそうです。

今では考えられないことなのですが、私たち日本人からしても英語を話している日本人ってなんだか違和感みたいなものを感じていました。

慣れなのでしょうねきっと。当時は本当に英語を話す日本人って珍しかったですしハリウッドからしてみれば自分たちの仕事を取られるという風に思ってしまったのかもしれませんね。

加藤雅也が日本に帰ってきたきっかけは?

映画ナタリー

日本に戻って来られてからの加藤雅也さんの活躍はスゴイですよね?

時代劇もなさいますし、コミカルな役もシリアルな役も様々こなされています。

その加藤雅也さんが日本へもどるきっかけというのが、北野武監督のアメリカが舞台のやくざ映画「BROTHER」です。

北野監督から英語ができるということで声をかけていただきリトルトウキョーのボス役を手に入れられました。

映画「BROTHER」白瀬役

その頃に中国系の俳優さんに言われた話で加藤雅也さんは日本に戻ろうと思われたそうなのです。

ジョージ・チャンという中国系俳優に『雅也、なんでお前はアメリカにいるんだ。日本にも素晴らしい監督はいるだろう。アメリカでB級C級をやらなくてもいいじゃないか』と言われたんです。

NEWSポストセブン

こういわれて加藤雅也さんは、そうだよね!と日本にも素晴らしい監督やこんなにいい役でキャスティングしてくれるのだから・・・と。

日本に戻るきっかけになったそうです。

当時のアメリカでの東洋人の扱いってあまり良くはなかったようです。

現在でもなかなか難しいような感じがしますよね?

私としては、日本に戻ってきてくださってとてもうれしかったです。

ハリウッドでの演技の勉強もチャレンジも現在の加藤雅也さんの活躍においてとても身になっていらっしゃるということですよね?

まとめ

加藤雅也さんの若い頃がイケメンだったということとモデルから俳優になられてハリウッドへ行かれた理由や日本に戻ってきた理由などをまとめてみました。

若い頃はさわやか系イケメンで現在は渋い大人の俳優さんです。

ちょっととっつきにくい感じの加藤雅也さんですが、関西人なのでお茶目なところもあり、今後ますます活躍されていかれると思います。

次に出演される作品を楽しみにしています。

最後までお読みいただきありがとうございました。